今日は本当は違うことを載せようと思っていたのだけれど
書かずにいられないことが出来てしまった。
Tさんが亡くなった。
実際には2日だったそうなのだけれど
今日、新聞で訃報を知った。
正直、自分がこんなに
動揺するとは思わなかった。
彼は私の生まれ育った街を作った人で、
その街に自分自身も住み続けた人だった。
私はニュータウンという人工的な街で生まれ育ちました。
にもかかわらず、
私が育つ中で、こどもの私の好奇心や、
ただの住宅街から受ける刺激にとどまらないものを
少なからず手に入れられたのは
彼の思想の隅々が活かされた街づくりの、
その結果が関わっているように思っている。
彼のおかげで私の住所は、
きらきらネームのような名前になることなく、
もともとは「野生の藤が生い茂る山」だった、という
土地の記憶を持った名前になることができたし、
そこここに部分的に残る、開発前の山の林が
格好の遊び場になり、自然の本来の形を
知らずのうちに、学んでいたように思う。
Tさんの存在は大人になってからなんとなく知ってはいたけれど、
割と最近まで、それ程意識はしていなかった。
ここで生まれ育ち、
大人になって、一度全く違う土地に住み、
図らずもまたここに住むことになってから
感じたことがたくさんあって、
彼にとても会ってみたくなったのだ。
違う土地を知って(住んで)、
仕事や個人的にさまざまな土地も見て、
今思うことは、
人工的な街ながら
ここが、育った場所でよかったと思えている。
私はそのことを彼に会って伝えてみたいと
ずっと思っていた。
そんなことを思っていたら、なんとなく縁があり、
幾度か、訪ねる機会をつくれそうだったにもかかわらず、
結局かなわなかった。
実を言えば「会わせて欲しい」と知り合いに
お願いしようと思っていた矢先だった。
多分、今自分が受けている
無念さや、悔しさ、かなしみの混ざったような感情は
「伝えたい」と思っていたことがあるのに
その人が近くにいたのに、
それをしなかった、できなかった。
「会いたい」と思う人が
近くにいたのに
行動しなかった。
そんな思いなのかもしれない。
ご冥福を祈る、なんて言葉じゃなくて、
「ありがとうございました」
と伝えたいです。
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